都民

6月 17th, 2016

舛添要一東京都知事の一連のスキャンダルでは、「都民の声」「都民の怒り」といった、“都民”という言葉を何度も目にした。私も東京都の北の端っこに住んでいるので、“都民”に含まれるのだろう。だが、私自身は“都民”という意識はそれほどない。

山形にいた子供の頃は、自分が山形県民であることはある程度意識していた。それは、郷土の文化、歴史に触れたときだったり、東京などの都会に対する“田舎”としての山形だったり、他県と比較しての山形だったりした。

だが、東京(首都圏)に住んだ年月が山形のそれを超えた今でも、自分が都民という意識はない。東京都特有の文化、歴史は思ったほどない、他県を意識することがない、といったことが原因なのではないかと思う。つまり東京という都市は、“東京”というカラーがない、個性がないのだ。東京が日本の縮図そのものだからということもある。

一方、局地的に観た場合、自分が住む赤羽という街には愛着がある。東京の他の街と比べて個性が感じられるからだ。自分は赤羽民ではあるが、都民という意識は薄い。だから、東京都知事を都民のリーダーと感じたことはない。実のところ、そんな都民は多いのではないかと思う。



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