山田太郎になれなかった男
先週、元プロ野球選手の香川伸行氏が亡くなった。
浪商高校時代、ずんぐりとした体型で捕手、4番打者だったことから、同じような設定の主人公が活躍する人気野球漫画に因んで“ドカベン”のニックネームで親しまれていた。高校卒業後の1980年、鳴り物入りで南海ホークスに入団したが、プロとしての成績はイマイチで、南海が福岡ダイエーホークスに変わった1989年のオフに戦力外通告を受けて現役を引退した。
本家『ドカベン』シリーズでは、高校卒業後にドカベン・山田太郎を南海ホークスに入団させ、プロ野球編を描く予定があったという。だが、香川が南海に入団したことで、南海にドカベンが二人となってしまうため、続編の『大甲子園』で物語がいったん終了した。実在の人物が、自分のニックネームの元ネタになったマンガに影響を与えてしまった稀有な例といえよう。
もし、香川が南海以外の球団に入団していたら、1987年の『大甲子園』終了後間もないうちに『ドカベン プロ野球編』が始まり、山田対香川が実現していたのかもしれない。
作者の水島新司は『大甲子園』終了後、週刊少年チャンピオンで『虹を呼ぶ男』を連載しているが、なかなか人気が伸びず、香川引退前の1989年中頃に連載を終了した。代わって始まったのがあだち充を意識したような爽やかな少年が主人公の『おはようKジロー』だ。『おはようKジロー』は、6年の長期連載となり、その後満を持して『ドカベン プロ野球編』が始まる。
もし『虹を呼ぶ男』の連載をあと半年粘っていれば、水島御大は、早くして現役を引退した香川の代わりに、山田太郎を復活させたかもしれない。だが、タイミング悪く、香川引退の時点ではすでに『おはようKジロー』が始まっていたのだ。
“ドカベン”香川とドカベン・山田太郎は、上記のようなさまざまなすれ違いによってあまり相乗効果を発揮できなかったのではないかと思う。むしろ、香川にとっては、作品の中で次第に神格化していく山田太郎の存在はプレッシャーだっただろう。
香川よりも『ドカベン』シリーズに大きな影響を与えたのは、香川より後に甲子園を沸かせた清原や桑田世代だった。KKコンビで高校野球人気が高まり、水島御大も『大甲子園』の筆がノッていたという。確かに、KKコンビの高校時代と連載時期が重なる『大甲子園』は作品に勢いがある。
そして何より『ドカベン プロ野球編』連載のきっかけとなったのは、『ドカベン』の文庫版の解説に寄せた清原の言葉だった。もちろん、この文庫版には香川が解説を寄せた巻もあった。だが、水島御大が連載を決意したのは、香川の言葉ではなく、清原の言葉だった。そういう点では、清原の方がドカベン・山田太郎に近い男だった。
このように、実は香川は“ドカベン”のニックネームで親しまれながらも、山田太郎にはなれなかった男なのかもしれない。本家ドカベン・山田太郎は今でも『ドリームトーナメント編』で活躍している。その影で、もうひとりの“ドカベン”はひっそりと姿を消した。“ドカベン”のニックネームは、香川の人生のさまざまな局面で有利に働いたこともあっただろう。だが、彼が本当に“ドカベン”のニックネームを気に入っていたのか、それは本人にしか分からない。
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