桜を観ている場合ではない「グエルチーノ展」
3月 28th, 2015
上野駅で降りて公園口改札から出ようとした我々夫婦の前に広がっていた光景は、上野公園に向かう大勢の人だった。列に並んでなんとか改札を出る。
だが、今日の用事は花見ではない。西洋美術館の「グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家」を観に行くことだった。美術館の敷地内に入ると、外の喧騒が嘘のような落ち着いた雰囲気だった。
グエルチーノは本名ではない。本名はジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ。「グエルチーノ」とは、斜視の小さな男、ということらしい。そんな男が描く絵画は写実的で、衣類の装飾品の光沢、金属、水などの質感をリアルに描いていた。
またほとんどの作品は宗教画であり、これが安定した見事な構図で描かれる。神が完全な存在であるなら、それを描いた絵画も完全なものでなければならない、そんなグエルチーノの意気込みが溢れてくるようだった。
絵画の多くは大きく、点数は少なめ。じっくり見るにはちょうどいい分量だ。予備知識無しで観に行ったが、これは数年に一度の“当たり”だと思った。桜など観ている場合ではない。桜は毎年見られるが、グエルチーノは今を逃したらいつ観られるか分からないのだ。
私も妻も興奮冷めやらず、図録を買い、桜には見向きもせずに上野を後にした。
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