銀座の飲食店での“事件”

7月 21st, 2014

夫婦で銀座に買い物に行った。お昼時、商業ビルの地下にある飲食街の欧風カレー店で食事をしようとした。

給仕は中年女性。言葉遣いは丁寧で、テーブル席を片付けるからひとまずカウンターで待っていてほしいという。メニューを先に渡され、先にオーダーを済ませると、後から別の客が来た。すると、何故か空いているテーブル席に案内していた。この辺りから様子がおかしくなってきた。

私たちが案内されるであろうテーブル席は前の客の皿がそのままで、一向に片付く気配がない。女性店員は、すでに食事中の客にお水を注いだり、食事を終えた客の会計などをしている。私も妻も少し苛立ってきた。

苛立ちが高まってきたところで、突然現れた男性店員がテーブル席に案内してくれた。さらに「注文まだですよね」と、メニューを渡された。「もう注文しました」。少し強い口調で答えた。すると「そうですか、すいません!」。男性店員は少しキレ気味に返答した。

それで、このお店で起きている事態の粗方を理解した。女性店員が給仕としてまったく機能していないのだ。一見働いてはいるのだが、段取りがまったくないというか、目の前の仕事にとりかかった瞬間、その後にすべき仕事を完全に忘れてしまうような感じだった。後から現れた男性店員も、この女性店員のフォローでかなりテンパっていたのだろう。

とりあえず、オーダーした料理は運ばれてきたが、妻のカレーのライスがなかなか来なかったり(しかも後から注文した客にライスが運ばれたり)と、相変わらずグダグダは続いていた。

女性店員は平身低頭で、席に来るたびに「すいません」と不手際を謝ってはいるのだが、必要以上に喋ったり、気を遣っている。いわゆる慇懃無礼そのものだった。謝らなくていいから、テキパキと給仕をこなしてほしいのだ。

私たちの様子を察してか、男性店員は「すいません、少しサービスします」と、ピクルスや一口パイをオマケに運んできてくれた。妻が「大変ですね」と男性店員を労ったことで、男性店員も安心したようだった。私たちの感情は、女性店員の不手際への苛立ちから、お店への同情へと変わっていた。

この男性店員も、聞けばこのお店を展開する会社が経営する他のお店からヘルプで来た人らしかった。給仕が機能しないこの非常事態に、急きょ飛んできたのだろう。大丈夫、あなたはよくやっています。我々は分かっていますよ。

料理自体はとてもおいしかった。私も妻も満足だった。だからこそ、このお店の“欠点”を心配した。料理がいくらおいしくても、給仕が機能しなかったらお店は回らないし、何よりもそれによって客が不快感を持ってしまったら、二度とお店に足を運んでくれないかもしれない。

私も妻も、料理には大満足でお店を出ようとした。会計の時、なんと、シェフを含めた全員が出てきて、「すいませんでした」と頭を下げた。私たち夫婦は申し訳なく思って「おいしかったですよ」と笑顔で答えた。事態を理解しているのかいないのか、給仕の女性も一緒になってニコニコしていた。実は会計もこの女性だった。私は普段極力クレジットカードで支払うのだが、ここで会計をカードにしたらまた混乱するかと思い、あえて現金で支払った。

正直言えば、飲食店の給仕はだれでもできると思っていた。高校生のアルバイトでも務まるものだと思っていた。もちろん、給仕にもプロはいて、私たちが行く馴染みのフレンチのマダムは、セルヴーズ(女性給仕)としては本当に一流だ。

だが実のところ、だれでもできると思われる仕事ができない人も居ることが分かった。私たちは過剰なサービスを求めているわけではない。店に入ってテーブルに案内され、料理をオーダーして、水を注いでもらい、料理を運んでもらう。飲食店としては最低限必要なことを求めているだけなのだが、それができない人がいるというのは驚きだった。教育とは何かとか、仕事とはなにか、職業訓練とは何か、そういったものを考えさせられた一件だった。

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